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丸美屋(まるみや)は、青森県八戸市に出店していた日本の百貨店である。 == 歴史・概要 == ===地元出資による開業=== 八戸市周辺の地元住民の間から百貨店開設の要望が高まり〔〔横山弘 『青森県の都市 機能と構造』 津軽書房、1982年11月25日。〕、地元の主力産業であった漁業関係者を中心にして地元新聞社の社長らも出資して〔資本金2000万円で「株式会社丸美屋」を設立したのが始まりである〔。 この「丸美屋」という名称は公募で決定しており、社長には地元の資本家である中島石蔵が就任した〔。 また、商品の仕入れ面などについては岩手県盛岡市の百貨店川徳の支援を受ける形をとった〔。 こうした経緯を経て、1951年(昭和26年)12月13日に〔八戸市の十三日町の南部貨物自動車の跡に〔八戸では初めての百貨店を開業した〔。 初日から多数の買い物客が訪れるなど地元住民には歓迎されたが〔、この開店に危機感を持った地元商店が対抗して合同セールを行うなど激しい商戦を巻き起こすことになった〔。 日本の百貨店は、呉服店が品揃えや店舗を拡大する形で発展して百貨店化する場合と、鉄道会社が母体となって開設する場合が多く、当店の様な形で開業したのは非常に珍しい事例であった〔野口雄一郎 奥田義雄 西川大二郎 『日本列島その現実 2 地方都市』 勁草書房、1971年1月。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「丸美屋 (百貨店)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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